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岡山地方裁判所玉島支部 昭和40年(ワ)28号 判決 1968年5月31日

原告

荒木高与

ほか一名

被告

秋田義実

ほか一名

主文

被告らは原告荒木高与に対し各自金四二万五九一九円およびこれに対するうち金一二万五九一九円については昭和四〇年九月一六日から完済まで、うち金三〇万円については昭和四一年三月九日から完済まで各年五分の割合による金員を支払え。

原告らのその余の請求はこれをいずれも棄却する。

訴訟費用はこれを三分しその一を原告荒木明子の、その二を被告らの各負担とする。

この判決は主文第一項に限り、原告荒木高与が被告ら各自につき各八万円の担保を供するときは当該被告に対し仮に執行することができる。

事実

原告ら訴訟代理人は「被告らは原告荒木高与に対し、各自金五九万七七六一円およびこれに対するうち金二九万七七六一円については本訴状送達の翌日から完済まで、うち金三〇万円については昭和四一年三月九日から完済まで各年五分の割合による金員を原告荒木明子に対し、各自金四三万五五二二円およびこれに対するうち金二三万五五二二円については本訴状送達の翌日から完済まで、うち金二〇万円については昭和四一年三月九日から完済まで、各年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、その請求原因として、次のとおり述べた。

一、請求原因

(一)  昭和四〇年三月二日午前八時五〇分ころ、岡山県浅口郡金光町佐方八五八番地先の県道(幅員三・二米)上において被告秋田義実の運転する普通貨物自動車(加害車)が、先行する訴外荒木多三郎の運転する自転車を追い越す際、加害車左側後部車体が自転車の右ハンドルカバーに接触し、そのため自転車もろとも訴外多三郎は道路から約四尺下の乾田に転落し、頸髄損傷等の傷害を受け、直ちに金光町姫井病院に入院して加療を続けたが、回復できないまま昭和四一年三月八日同病院において死亡した。

(二)  この事故は被告秋田の過失によつて生じたものである。すなわちこのとき被告秋田は訴外多三郎(当時七六才)が自転車に乗つて先行した道路左側に寄りつつあつたのを見てこれを追い越そうとしたのであるが、同所は幅員三・二米の狭い道路でしかも道路が曲り角になつているうえ路面がややかまぼこ状に中央が高くなつていて接触事故発生のおそれが十分にあるので、自動車運転者としてはこのような場合、最徐行するかあるいは一時停止すべきであるのに、漫然と時速約一五粁の速度で自転車の右側すれすれに近接して追い越した過失により、曲り角を通過した直後において前記のとおり加害車を自転車に接触させ、本件事故を惹起したものである。

(三)  被告中国食鳥株式会社(被告会社)は加害車を所有し、その事業のために被告秋田を雇傭しているものであり、本件事故は被告秋田が加害車を運転中に起したものであるから、被告秋田は民法第七〇九条により、被告会社は民法第七一五条あるいは自動車損害賠償保障法第三条により、訴外多三郎および原告らが本件事故によつて受けた後記の損害を賠償すべき責任がある。

(四)  本件事故の発生によつて訴外多三郎が受けた損害は次のとおりである。

1  入院治療費 計二九万三六五円

訴外多三郎は本件事故直後姫井病院へ入院し死亡するまで治療を続けたが、昭和四〇年三月二日から同年一一月二五日までの医療費は二七万七五六円であり、同年一一月二六日から昭和四一年三月八日までの医療費は一万九六〇九円であり、別に食費、部屋代などに八、九八二円を要した。

2  得べかりし利益の喪失 計九四万五〇九八円

訴外多三郎は原告らの住所地において水田四反、畑三反、山林二反を所有して農業を経営していたが、右農業経営による年間収益は次のとおりである。

(1) 収入(農産物売却代金)計三二万七八五九円

米二一俵(供出米および自由米) 一二万三〇六〇円

大麦五俵 八六九五円

小麦一俵 二七五二円

九六六瓩 二万一二二四円

桃 三万七六六七円

柿 二万九八〇円

鶏卵 四四一・三瓩 七万一七三一円

白瓜 一万一七三一円

その他の野菜 三万円

(2) 支出(必要経費)計三万四八三六円

桃、柿などを詰める箱代金 五六九一円

肥料代金 一万一〇〇〇円

農薬代 三五〇〇円

米、麦を入れる俵袋代金 三〇四五円

家族労働以外の人件費 一万一六〇〇円

(3) 収益=(1)-(2)=二九万三〇二三円

なお訴外多三郎は部落の道路改修工事や溝の清掃に毎年従事し、三一六〇円の報酬を得ているので同人の年間収益は以上合計二九万六一八三円であるところ、右多三郎の生活費は年間三万六〇〇〇円であるから、同人の本件事故による受傷および死亡によつて失われた得べかりし利益は年間二六万一八三円である。そして右多三郎は事故当時満七六才ですこぶる健康であつたから事故後も平均余命の六年間は稼働できたものというべく、ホフマン式計算方法により年五分の割合による中間利息を差引いて右六年間の得べかりし利益を事故当時において一時に支払を受けるものとすれば、その総額は九四万五〇九八円となる。

3  慰藉料 四〇万円

訴外多三郎は本件事故前はすこぶる健康で労働することを楽しみにしていたのに本件事故によつて受傷し、姫井病院において臥床したまま身動き一つできず食事すらつきそい看護の手を借りなければできない状態におちいつたものであつて非常な精神的苦痛を受けた。その慰藉料は四〇万円をもつて相当とする。

(五)  原告高与は右多三郎の妻であり、原告明子は右多三郎の孫であるから、いずれも右多三郎の被告らに対する損害賠償請求権((四)の1ないし(3)計一六三万五四六二円)を法定相続分にしたがつて相続したものというべく、その相続分は原告高与が三分の一で五四万五一五四円、原告明子が三分の二で一〇九万三〇八円となる。

(六)  本件事故の発生によつて原告らは次の損害を受けた。

1  原告高与の附添看護料 一八万円

原告高与は訴外多三郎の入院以来同人に附添看護したが、その日当六〇〇円として三〇〇日分。

2  慰藉料

原告高与は本件事故によつて訴外多三郎が非惨な死に方で死亡したため、永年つれそつた夫を失い、原告明子は祖父を失つていずれも非常な苦痛を受けた。その精神的苦痛に対する慰藉料は原告高与が三〇万円、原告明子が二〇万円をもつて相当とする。

(七)  ところで原告らは本件事故による自動車損害賠償保険金として一二八万二一七八円の支払を受けたので、それぞれの相続分にしたがつて原告高与が三分の一の四二万七三九三円を、原告明子が三分の二の八五万四七八六円を相続したことになるからこれを原告ら固有の慰藉料((六)の2)以外から控除すると、原告らの損害賠償請求額は原告高与が五九万七七六一円、原告明子が四三万五五二二円となる。

よつて原告高与は被告らに対し各自が右五九万七七六一円およびうち三〇万円((六)の2)については訴外多三郎が死亡した日の翌日である昭和四一年三月九日から完済まで、うち二九万七七六一円(五、六の1の残額)については本訴状送達の翌日から完済まで各民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払をなすべきことを求め、原告明子は被告らに対し各自が四三万五五二二円およびうち二〇万円(六の2)については訴外多三郎が死亡した日の翌日である昭和四一年三月九日から完済まで、うち二三万五五二二円(五の残額)については本訴状送達の翌日から完済まで各民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払をなすべきことを求める。

二、抗弁に対する答弁

被告秋田が治療費として一万七八二二円を支払つたことは認めるが、その余はいずれも否認する。本件事故について多三郎に過失は存在しない。

被告ら訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求め、次のとおり述べた。

一、請求原因に対する答弁

(一)  第一項記載の事実中、入院加療の期間、治療経過またその病状、死亡が本件事故にもとづくものか、多三郎の老令その他の事由によるものかは知らないが、その余は認める。

(二)  第二項記載の被告秋田の過失は争う。すなわち現場道路は右折するスローカーブになつていて、被告秋田が運転する加害車が多三郎の自転車の右後方からこれを時速一五粁の徐行速度で追越し、右折カーブを先行した際、多三郎が老令かつ運転未熟のため運転を誤り、よろけて加害車の左後部車体に接触し、横転したものであつて、このような場合多三郎としては直ちに下車すべきであつたのに下車しないまま進行を続けたため本件事故が発生したものである。また多三郎は老令で腰も極度に曲つていて平素歩行も困難なありさまであつたから同人が自転車に乗ること自体にも重大な過失がある。したがつて本件事故はもつぱら多三郎の過失にもとづいて発生したものであつて、被告秋田には過失がない。

(三)  第三項記載の事実中、被告会社が加害車を所有していることは認めるが、その余は否認する。すなわち事件当日、被告秋田がその所有する自動車のバツテリーが故障していたため、被告会社のひきだしに保管してある鍵を保管責任者に無断で使用して加害車を運転したものであつて被告会社には損害賠償責任がない。

(四)  第四、五、六項記載の事実は全て知らない。なお多三郎の農業経営における労働寄与率は六〇パーセントであるから、その喪失した得べかりし利益も農業収益の六〇パーセントとするのが相当である。

二、抗弁

(一)  本件事故が訴外多三郎の重大な過失によつて起つたことは前記のとおりである。したがつてかりに被告らに損害賠償義務があるとしてもその額を算定するにあたつて右多三郎の過失を斟酌すべきことを求める。

(二)  原告ら主張の自動車損害賠償保障法による保険金のほかに被告秋田は治療費として三万円および二万円の計五万円を支払つている。

〔証拠関係略〕

理由

一、昭和四〇年三月二日午前八時五〇分ころ、岡山県浅口郡金光町佐方八五八番地先県道において被告秋田の運転する加害車が訴外多三郎の運転する自転車を追い越そうとした際、加害車左側後部車体に自転車右ハンドルカバーが接触して、そのため多三郎が自転車もろとも道路下の田に転落したことは当事者間に争いがなく、〔証拠略〕を綜合すると、この事故によつて多三郎は頸部打撲傷、頸髄損傷の傷害を受け直ちに姫井病院に入院して治療を受けたが頸髄損傷による下肢の運動不能、下半身の知覚鈍麻が著しくて臥床したまま寝返りをうつこともできないまま、右頸髄損傷が原因となつて、栄養神経の麻痺、膀胱麻痺などを起し、そのため体力が消耗して昭和四一年三月八日同病院で死亡したことが認められ、右認定に反する証拠はない。

二、〔証拠略〕を綜合すると次の事実が認められる。すなわち本件事故の発生した現場は、浅口郡寄島町方面から同郡金光町方面に通ずる町道上で、現場附近の道路は幅員が三・二米、歩車道の区別のない非舗装道路でほゞ東西に通じ、金光町方面に向かつてやゝ右に彎曲しながら曲がつており、道路の北端の幅〇・五米ほどは斜め下方に傾斜していてその部分は自転車で通行することができない。本件事故当日、被告秋田は被告会社へ出勤するため加害車(車体の幅一・六九米)を運転して右道路を金光町方面へ向かつて時速約二〇粁の速度で東進していたが、本件事故現場附近手前にさしかかつた際、前方を同一方向に進行する訴外多三郎が運転する自転車を認め、警笛を吹鳴したところ、右自転車が道路左端の方に寄るのを見て、これを追い越そうと考えた。その時多三郎は後から加害車が接近してくるのに気がついて道路の左側へ寄つたのであるが、加害車が大型車でないのを見て自転車を停めて降車しないでも危険はないものと判断してそのまま進行を続けていた。被告秋田は道路が少し右へ湾曲しながら曲つている地点附近において時速約一五粁の速度で追い越しを開始したところ、加害車の左後部車体が自転車の右ハンドルカバーに接触し、そのために多三郎の自転車が道路下方約三〇糎の田の中に転落したが、被告秋田は右接触地点からそのまま約一〇数米進んでから後方を見て、始めて多三郎が転落していることに気づいたものである。

右認定とくいちがう被告秋田義実本人尋問の結果の一部は、甲第七、一〇号証、乙第一号証に照して直ちには信用できないし他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

右認定のとおりの事実関係からすると、被告秋田には自動車を運転する者として、右道路の幅員、形状および加害車の車体の幅を考慮し、多三郎が自転車を降りて避譲するのを待つて追い越しを開始するか、あるいは追い越しを終るまで多三郎が運転する自転車の動静に十分なる注意を払いつつ追い越しをして事故の発生を未然に防止するべき注意義務があるのに、これを怠つて自転車が進行しつつあるのにも拘らず、これに対して十分なる注意を払わないまま漫然と時速約一五粁の速度で追い越そうとした過失があり、右被告の過失によつて本件接触事故が発生したことが明らかである。

三、被告会社が加害車を所有していることは当事者間に争いがなく、被告秋田義実、被告中国食鳥株式会社代表者各本人尋問の結果によると、被告秋田は昭和四〇年一月ころから妻の姉の夫にあたる高橋亀一が経営する被告会社に臨時の自動車運転手として雇われ、被告会社の商品運送業務に従事していたこと、被告秋田は平素から加害車を含めて被告会社の所有する自動車をその都度保管責任者に届出でないでも自由に使用していたこと本件事故の発生した二日ほど前、被告秋田は加害車で自宅に帰り、事故当日はこれを運転して被告会社に出勤する途中、本件事故を起したことがそれぞれ認められ、右認定を動かすに足りる証拠はなく、以上認定の事実関係によれば被告会社はなお加害車に対する運行を支配しているものというべく、したがつて自動車損害賠償保障法第三条にいわゆる「自己のため自動車を運行の用に供する者」であると解するのが相当である。

そうだとすると、被告秋田は民法第七〇九条によつて、被告会社は自動車損害賠償保障法の規定によつて各自、多三郎および原告高与が蒙つた後記の損害を賠償すべき責任があることになる。

四、そこで本件事故の発生によつて訴外多三郎が受けた損害について判断する。

(一)  入院治療費

〔証拠略〕によると、訴外多三郎は本件事故によつて受けた前記傷害の治療のため昭和四〇年三月二日から昭和四一年三月八日死亡するに至るまで姫井病院に入院し、その期間の入院料、治療費(診断書作成料を含む)として二九万三六五円、牛乳四九九本の代金として八九八二円を要したことが認められ、右認定に反する証拠はない。

(二)  得べかりし利益の喪失による損害

〔証拠略〕を綜合すると、訴外多三郎は本件事故発生当時、満七六才の健康な男子で農業に従事していたが、その耕地面積は田四反、畑三反であつて近隣と比較して中程度の農家であり、農業はほとんどが家族労働によつてまかなわれその家族は妻原告高与(当時七一才)、長男亡辰郎の妻米子(当時四五才)、孫原告明子の計四名であつたが、右農業の家族労働量のうち六割を多三郎が占めていたこと、昭和三九年度における多三郎方の農作物の売上額は、米一二万三〇六〇円、大麦八六九五円、小麦二七五二円、筍二万一二二四円、桃三万七六六七円、柿二万九八〇円、鶏卵七万一七三一円、白瓜一万一七三一円、その他の野菜三万円、以上合計三二万七八五九円であり、支出した農業経営のための必要経費は合計三万四八三六円であること、なお多三郎は毎年、部落の道路改修工事や溝の清掃に従事しており、昭和三九年度においては三一六〇円の報酬を得ていることがそれぞれ認められる。以上の事実から訴外多三郎の労働による年間収益は農業外収入が三〇〇〇円、農業経営によるものが一八万円で合計一八万三〇〇〇円と認めるのが相当である。右認定を左右するに足りる証拠はない。

次に〔証拠略〕によれば多三郎方では主食は全て自家保有米でまかない副食についても野菜はほとんど自家生産のものでまかなつていることが認められる。そして農林省農林経済局統計調査部経済調査課作成の「農林省統計表」によると昭和三九年度における農家一戸当り年間消費支出額の全国平均は五八万三八〇〇円であり、世帯人員の平均は五・四人であつて一人当りの年間消費支出額の平均は一〇万八一三円であることが明らかであり右事実に前記認定にかかる訴外多三郎方の農業経営規模、世帯人員の構成と弁論の全趣旨を綜合して同人の生活費は年額六万円であると認めるのを相当とするそして厚生大臣官房統計調査部作成の第一〇回生命表によれば満七六才の男子の平均余命は六・五九年であるから訴外多三郎は本件事故に遭遇しなければ、事故後なお右平均余命年数の間生存することができたものと推認され、同人の健康状態からみてそのうち少くとも満八〇才までの四年間は事故当時と同程度に稼働できると考えられるので、同人が昭和四〇年三月二日から右就労可能年数の間、稼働したとしてその間に要する前記生活費を総収入より控除し、さらにホフマン式計算により一年毎に民法所定の年五分の割合による中間利息を控除して、事故当時の一時払額に換算すると四三万八四〇九円〔(183000-60000)×3.5643〕となる。

(三)  慰藉料

〔証拠略〕によれば、訴外多三郎は本件事故前は極めて健康であつたのに、本件事故によつて受けた傷害のため姫井病院に入院し、下半身が麻痺しているため臥床したまま起上ることもできず、排便も失禁状態で、さらに膀胱炎などの余病を併発し、昭和四一年三月八日同病院において死亡するに至つたことが認められ、右事実に前記本件事故の態様、訴外多三郎の年令その他本件にあらわれた一切の事情を考慮して訴外多三郎が本件事故による受傷のため受けた精神的苦痛に対する慰藉料は四〇万円とするのが相当であると認める。

五、〔証拠略〕によれば、原告高与は訴外多三郎の妻であり、原告明子は同人の孫であると認められ、したがつて原告らは訴外多三郎の相続人として、右四の(一)ないし(三)の損害賠償債権計一一三万七七五六円は、法定相続分にしたがつて原告高与が三分の一の三七万九二五二円、原告明子が三分の二の七五万八五〇四円を相続したことになる。

六、そこで本件事故によつて原告らが受けた損害について判断する。

(一)  原告高与の附添看護料

〔証拠略〕によると、原告高与は訴外多三郎が本件事故によつて入院してから死亡するまで、少くとも三〇〇日間身動き一つできない同人に附添つて看護に当つたことが認められ、右認定に反する証拠はなく、右附添看護によつて原告高与は一日六〇〇円の割合による計一八万円の損害を受けたことになると解する。

(二)  慰藉料

〔証拠略〕によれば、原告高与は本件事故によつて夫を失い悲歎にくれていることが認められ、右事実および前記多三郎の受傷の程度、死亡するまでの状況などを考慮すると原告高与が本件事故によつて蒙つた精神的苦痛に対する慰藉料に三〇万円をもつて相当と認める。

原告明子は本訴において多三郎の死亡によつて受けた苦痛に対する慰藉料として二〇万円を請求しているが、同原告は多三郎の孫であつて民法第七一一条所定の近親者の範囲に属さず、内縁の妻、認知を受けない子などこれと同視すべきものにも該らないし、その他多三郎の死亡によつて慰藉料により償われるに値する精神的損害を受けたと認められるべき特段の事情について証明がないので、右原告明子の慰藉料請求は理由がなく、認容できない。

七、被告らは本件事故について、多三郎が運転を誤まりよろけて加害車の左後部車体に接触したため、事故が発生したと主張するが右事実はこれを認めるに足りる証拠がなく、多三郎が自転車に乗ること自体に過失があり、本件事故は右多三郎の過失によつて惹起されたものであるとの被告ら主張もこれを認めるべき証拠がない。また前示のように多三郎は後方から加害車が接近してくるのに気がつきながら、加害車が大型車でないのをみて自転車を降車しないでも危険はないと判断し、道路の左側に寄つて進行を続けたものであるが、前示事故の態様と、被告の過失に照らし、多三郎に過失相殺に供すべき過失があるとは考えられない。

八、したがつて被告ら各自に対し、原告高与は五五万九二五二円(前記五、六の(一))および三〇万円(前記六の(二))の、原告明子は七五万八五〇四円(前記五)の各損害賠償債権を取得したことになる。

ところで原告らが自動車損害賠償保障法により保険金一二八万二一七八円、被告秋田から治療費として一万七八二二円の内入弁済を受けていることは当事者間に争いがなく、被告秋田が右金額を超えて治療費を支払つたとの被告ら主張はこれを認めるに足りる証拠がない。そして以上計一三〇万円は原告らの相続分に応じて原告高与については四三万三三三三円が前記五五万九二五二円の損害債権に、原告明子については八六万六六六七円が前記七五万八五〇四円の損害債権にそれぞれ弁済充当されたものと認むべきであり、これを差引くと、原告高与が本訴において請求できる損害額は前記五、六の(一)の損害額残金一二万五九一九円および前記六の(二)の損害額三〇万円となり、原告明子については全て消滅することになる。したがつて被告らは原告高与に対し各自右四二万五九一九円およびうち金一二万五九一九円に対しては本件訴状送達の翌日であることが記録上明らかな昭和四〇年九月一六日から、うち金三〇万円に対しては多三郎が死亡した日の翌日である昭和四一年三月九日から各支払ずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払わなければならない。

よつて原告らの被告らに対する本訴請求は右認定の限度において理由があるのでこれを認容しその余を棄却すべく、民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条、第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 東條敬)

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